Don't Let Me Down

そういえば、この前、親族にホストの動画を見せられて、この男は叩けない、素晴らしいとかと抜かされた。

その親族は、昔はとても良い兄貴みたいな関係で、僕としてはとても好感を持っていたのだが、いつしか、彼の親から勝手に金をふんだくってスマホゲームに課金するとか、(遺伝かどうかは知らんが)とてもじゃないが好感は持てる相手ではなくなっていた。(以下、件の親族を彼と呼ぶ)

画面の中で、ホストは男ならああだとか、男なら日本一になりたいだとか言っていたが、女から金大量にふんだくって、ある意味生物学的な弱点を突いたあくどい職業といえる(これはもちろんキャバクラも同じ)のだから、変な話一番男を語っちゃいけないと思うのは僕だけなのだろうか。

画面の中は、きらびやかだった。だが、僕には砂嵐を見ているような虚無感と、悲しみがあった。整形に整形を重ねたそのホストの姿は、もはや人形のように可憐だったが、僕の目には、その中に美しさを感じなかった。

何より、スマホゲーム事件が起こったとき、僕の母は僕に「これから(私がくたばったとしても)あの子にはお金を貸してはダメだよ」というお達しがあった。僕は恵まれていると思った。良い母に、よい教育を受けることができたと思った。同時に、彼とは価値観を共有できないと思った。

彼は、何をするにしても、集中できず、目の前の楽に飛びつく人間だと思う。そしてこの性質は、受験が少しうまくいっただけの僕への偏見を植え付け、僕のことを勉強しかできない(本当は勉強すら特技ではないのに)生産性のない人間だと思っているのだろう。先日会ったとき、彼の口から出る”言葉”は、まるでそう言っているようにしか聞こえなかった。僕は、その時、叔父とともに近くの公園で遊んだ無邪気な彼は、シイタケなのに松茸だと祖父に嘘をつかれたのに、騙され香りが違うとおいしそうに頬張る彼は、跡形もなくなっていた。

 

これは僕が生まれる前、死んだ僕の祖父が自らの妻(要は僕の祖母である)と縁を切ったとき、祖父が祖母の性質についてこう語っていたらしい。「あいつは、金に目がくらんだのだ」と。

 

神は遺伝機構という、ある意味有利で、ある意味最も厳しい、運命を我々に突き付けたのかもしれない。それでも、親や親族の悲しむ姿を見ればこそ、その運命を乗り越えてきたはずだった。冗談じゃない。

 

 

届かぬ、そしてまた言えぬ言葉を

がっかりさせないでおくれよ

僕は、あなたの無残な姿に、残酷な言葉を、かけたくないのだ。

超越的な利益主義による全体の不利益について

最近よく考えるんだが、一億総活躍社会って正しいのか?

一億総活躍社会って、老人老婆も障害者も、誰も彼もが活躍させられる社会か?僕は、全員が桃太郎である必要は無いと思ってる。何故自分が主人公でなければならないんだ?何時あなたがたが主人公だったんだ?

そのくせに、極端な機械化とブルーカラーへの偏見教育によって人々は路頭に迷ってる。

結局、ろくに今まで何かしら血のにじむような経験をしなかったものがceoなぞといった意味不明な役職につき、パート、アルバイトの量産から世の中を闇に染める。

あなたがたは私が何を言っているかわからないと思うし、私も正直完結にわかりやすく伝える事は出来ない。

いま、人は自由か?

一億総活躍社会とは、真の自由を与えるのか?

今話題の選挙の話をしているのではなく、今のクソみたいなシステムが、にくくて仕方が無い。なぜ、人が働いて人を養って流動していく社会でないのか?

倫理でモノを語るのは嫌だが、平和主義も資本主義も共産主義も現在のいかなる主義はクソ喰らえ。

結局、自分の活躍のためにしか、自分の金のためにしか、ものが言えないんだから。

 

 

PROTEST

物理学者の卵がこのようなことを言ってよいのかわからないが、先人たちの名言には実にたくさんの神の否定について語るものがある。語るのは結構だが、自らの発言には大きな影響力があるのを忘れてはならない。だからこそ、あまり大きなことを言うべきではないというのが、私の意見であり、今回のテーマでもある、彼らへのprotest(抗議)なのだ。(先人を否定するわけではない。)

 

元来、学問とは神への畏れから始まったとされるのが普通だ。理学はそもそも工学や農学と違ってクソの役にも立たないことをしている人はたくさんいる。にもかかわらず、役に立たぬ学問の基礎を作り上げたのは、キリスト教社会であることは間違いなく、聖書にも、主を畏れることは知恵のはじめと語るように、歴史的に神という存在が作った非常に秩序だった世界の解明を行うというのがもともとの目的だったのである。

 

神の否定を公言するのは結構だと思うが、そもそも彼らは神という存在がもしいたとするのならそれは人知を超えているというある種の定義のようなものを忘れているようにも思える。つまり、不可知であるということに。

 

知的欲求のために研究することは、とても立派だとは思う。しかし、宗教を信じる者に対して、ある種の差別にもとれるような発言は避けるべきだとも思う。彼ら(先人の無神論を掲げた物理学者たち)は決してすべてを知れなかった。すべてを知れぬものに、信じる者を批判し否定する権利はないと思うのだ。

 

DOUBT

今回は題名の通り最近感じたちょっとした疑念を記したい。

某巨大サイエンスイベントで出店する教授が知り合い(というか遠い高校の先輩)なのだが、今回は母校(中高一貫)から中学生が何人か派遣されてくる。

僕は一般入試だが、このようなイベントに参加することでどうやらao入試で大分有利になることがあるらしい。僕の友人もこれの恩恵を受けた。彼は圧倒的な学力を持っていたので何の入試で入ろうが関係なかったが、これがギリギリの人間だと結構不満がある(僕だけか?)。

なぜなら、ぶっちゃけると面接があるためフェアとは言い難いからである。たかが20分やそこら喋っただけで、その人の研究意欲と人となりがわかるとは大層なカウンセラである。彼らはすぐに心理学の教授になるべきだ。入った方々には無論言い難いし申し訳ないと思うが、僕の持論では本気でその大学で勉強したいなら大学受験の勉強なんて本気でできるだろう。

なぜこのようにこの入試制度を忌み嫌っているかといえば、僕もao入試を受けて落第してるからである。僕に研究意欲がないと言われればそれまでだが、対策は意欲のある大学の研究室は先生が紹介したものになるし、まるで茶番である(コレで受かる人間がいるらしい)。受かる人がいると聞いた時、そしてその上で落ちた時茶番合戦で負けただけだなと思ってしまったのは必然とも言えた。

本題に戻ると彼らは彼らが本気でそのイベントを探してやろうという訳ではなく、先生が興味がありそうな子を強制送還しているようだ。

疑念しか湧かない…

ao入試とは、本気でその大学の研究をしたいというずば抜けた研究意欲のある人間が通るもので、学校の方針で受かるものではないだろう。

このような事を平然とする尊敬していた母校の教師に、少しだけ落胆した時であった。

最後にこれらは決してao入試入学者を嫌っている訳では無い。彼らの予備知識は目を見張るものがあるし、良い人ばかりである。私が嫌うのは『 入試制度』であることを心に留めていただきたい。