教育とは

アインシュタインはかつて、「教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう」と言った。

なるほど確かにそうだと思う。つまり裏を返せば、学問だとか、覚えた慣習だとかと言ったそういうものを教えることに教育があるのではない、ということだろう。

 

今の教育を批判することは幾らでも出来るし、言ってしまえば大半の人間は、不満を持っていることだと思う。そういう意見はきっとこの歴史の教科書はどうのこうのと言って論争しているのだ。

しかしそうではなく、僕は教育それそのものが、大きく歪んできていると思うのだ。つまりは、世の中の科学技術だったりだとか、文字とかが全く意味をなさなくなった時、一個人がどういう人間になれるのか、という所に教育の意義があるという事だと思っている。

人間が次に教えることが出来るのは、勉強もそうだが、模範となるべき形と、そうなるようにある程度努力することの有意義性である。そしてそれをすることが出来るのは、まだ未成熟な子供が全く盲信的に信頼出来る親という存在であり、彼らによってこそこのような真の教育がなされるべきだと思う。

このような話をすれば、きっと皆さんはステレオタイプなつまらん凝り固まった考えだと言うだろう。

しかしそうではない。僕がこのような皆さんにとっては大正明治時代のように感じられる教育観を話すのは、寧ろ今の世の中にはこのような考えの方が優位に立つべきだと思っているからだ。

人間が冷たくなったのは両親が共に働く事を良しとした時代からだと思う。今の人間はまるで氷のように冷たい。簡単に人を裏切り、人を育てることは金を得るための行動に過ぎないと考えている。

昔の形態はシビアで苦しかったかもしれないが、今はそのステレオタイプな考えをなくしたかと思えば完全な味方を世から失いまるで個人が他人と争う戦国時代となったように思える。

正義がどこにもないようにどこにも正義はあって、そして各時代にも良さというものがあった。

それを忘れた時点で教育のみならず、社会は死んでいる。