It's A Hard Life
さて、この年末に、何が言いたいかというと、人というものは豹変しうるものだなあということだ。
この話は、やはりあまり口外はできないものであるが、ざっと概要だけ言えば、僕の知り合いが、人を殺したのだ。
穏やかな人だった。
優しい人だったのだ。正直、ショックだった。
今年、最も激しく感情を揺さぶられたと思うし、めったにないことだ。いや、もう二度とこんなことにはなってほしくない。
もうだいぶたつのに、トラウマになってしまって、たまに思い出せば、なんだか心に何かが締め付ける。
そして、いらいらするという感情が、あまり自覚的でないように、そしてとてつもなく突拍子もなく起こるように、人は猟奇的におかしくなる時があるのだ。ある種、人間は爆弾なのだろう。
きょう僕は今思えば少しイライラしていたなあと思うし、周りはさぞかしなんだこいつはと思っただろうと思うと、少し後悔の念が出てくるが、昨日の僕がそのことを知る由もないのだ。
これは恐ろしいことだと思う。とても奇妙で、科学がどうにかできることではない。でも、僕らはなるべきこの恐るべき爆弾を、起爆しないように、せめて火を近づけぬように、爆弾たる当事者が努力する必要があるなあと、思うのである。だからこそ、自らを完全に外から見ることのできる客観の自我が必要だと思うし、このことは人類の最大のテーマであるかもしれない。
今回この、It's A Hard Lifeを題名に選んだのは、我々みんなが難しい生き方を強いられるということを、何と無く暗示するためなのだが、なんだか原曲とかけ離れているから少し変だったか。
まあとにかく、いつでも機嫌よくいたいものだ、そうすれば、とりあえず嫌なことの大半は消える気がするから。
よいお年を。
Across The Universe
最近、ボヘミアンラプソディーを見てきたが、なかなか面白かった。しかし、僕が感動したのはあのLIVE AIDのシーンであって、それ以外にはあまりという感じであったが、Live Aidはまさにクイーンの最高のパフォーマンスといっても過言ではないのでぜひ。
音楽は、様々なことを思い出させる要因になりうると思う。僕もAcross The Universeはいろんなことや人を思い出させる、僕にとって最高で最悪の曲である。
さて、Led Zeppelineの曲なんかは、大学受験のことを思い出すし、それこそQueenの曲たちは、あの寒い高校受験の日々を思い出す。
今となっては、思い出に過ぎなくて、過ぎたことなのに、泣かされるのだ。
Live Aidを初めて見た時、泣いた覚えがある。ボヘミアンラプソディーが心に響いて、RadioGaGaが、Hammer To Fallが迫ってきて、We Are The Championが泣かせた。
何か忘れていたことを思い出した気がする。
少しだけ、自分を取り戻した気がした。
Mr. Tambourine Man
僕はコンプレックスを抱え込みやすいが、病むのは全く努力がうまくいかなかったときだけで、その病みも寝るか酒を飲めば治る。人の死がかかわらない限りは、だいたい次の日には開き直っているし、それが僕の唯一良いところだと思っている。
いろいろうまくいかないことはあるもんだし、人間関係は必ずしもうまくいくとは限らない。それを乗り越えてきたのが今だと思っているが、なかなか大変なもんである。
そういえば、生き方というものを模索してきたけれども、なんだか見当たらないものだ。僕の人格は最近何人かに分かれているのではないかしらと思うくらいに分裂しているように思えるし、なんだかいつまでたっても自分が壊れているようにしか思えない。
ねじが取れているとかそういった単純なものではない、何か致命的な設計ミスのような。
暗い曲を聞くのが好きだ。Yer Blus。別に死にたいわけではない。どこか心に響く。
僕は、僕という名のクソみたいな道化師と、徹夜で戯れてる。
酒飲んで寝よう。
Like A Rolling Stone
僕は人を励ますときは、必ず僕の必ずしも成功とは言い切れなかった過去の話をする。ここではちょっと話せないが、行ってしまえば失敗を恐れる人間に失敗の話をするのだ。惨いと思ったことは何回もあったけれど、何かと効果はないわけではないかなと思ってもいる。
僕は一番最初の関門に失敗していて、まるでその辺に転がった石ころのように、みんなにどうでもいいと思われ、いつだって弱者は強者に踏みつぶされる現実を見てきたしそれに不満を抱いたことはない。
負けず嫌いではあったので第二の関門を突き破ることはできたが、それまでの努力というものはあまり人には認められなかったし、それに一番見返したい人物になんだか肩透かしを食らったような思いにさせられた。
いつもいうのは、挫折なんて、いつだってしているということ。医者になりたい気持ちなんて、今になってはほとんどなくなってしまったが、少なくとも、挫折というのは得てして常に人に降りかかるものだし、人はそれを不条理だと思うのはあまりに傲慢だともいえる気もする。
しかしながら、成功した人間は挫折したかといわれると、特に今の人間は非常に是節しらずのわがままな、短気な、ある種詐欺的な厳しい手口で、上に登っていくので、あまり挫折を知らない。
結論なんて出せないが、努力をして、そのうえで失敗したことがない人間に、人の上になんか立ってほしくない。親に涙を見せたくなくて風呂でシャワーを頭にかけながら泣いた日々を、毎日悲しい音楽を口ずさんで涙ぐんだ日々を、知っている人間は強い。
ぼろ雑巾のようになりながら、地を這って進むしか。
In my life
beatles の In My Lifeは、ジョンレノンが中心となって作曲したこともあって僕はかなり好きな曲だ。
特に、静かな夜に酒でも飲みながら聞くと、なかなか良い。
冒頭からこの曲は、多くの人と知り合ってきたが、その中には、生きている人と死んだ人がいるといっている。僕はまだまだ人生先が長いと思っていたし、今ももちろん長いと思っているが、逆に振り返れば、多くのことがあったのかなとも思う。
楽しいことは数え切れぬほどあったはずなのに、悲しみしか数えられぬ宿命にある我々は、後ろを振り返るたびにうつ病になったかのように悲しむ。
楽しみを数えろとは言わない。悲しみを忘れろともいえぬ。前に進むことにおいて、過去というものが最も弊害になることに間違いはない。
異常な自信を持つ人間は、多くの場合成功することが多い。
それは、ある意味、悪い意味で。
Here Comes The Sun
恥ずかしながら斉木楠雄のサイ難というマンガがかなり好きで、今集めているのだが、その中に出てくる未来を占えるキャラが、良いことの後には必ず悪い事があってその逆もまた然りと物事の運はバランスが取れているのだと言っていた(こんな内容だったと思う。因みにそのキャラは相卜命と言う。オススメなのでぜひ、読んでみてほしい)。
「Rain」で書いたこと、まあ言ってしまえばあれは、僕の知り合いが死んでしまった時に少し気が動転して書いてしまったところがある。そんなこんなで、正直あんまり元気が出なかったが、日帰りながら遠出の旅行に行った時、みんなが疲れて静かになったバスで、うとうとする好意を抱く人が反射で映るバスの窓を見つめることに、僅かながら幸福感を得たのは少しづつ踏ん切りを付け始めた証拠だと思う。
時は最良の薬だと誰かが言ったような気がする。私の親は、祖父が死んだ時狂ったように泣いていたが、今では命日を忘れかけている。
だが、それで良いのかもしれない。いや、人間として、それがもっとも、祖父もある種望んでいたことなのかもしれない。
悪運と幸運が入り交じることで、前の幸運も悪運も、少しづつ薄れて忘れていくのだろうと思う。
良いことと悪いことはバランスを取ってゆらゆらと我々に現れる。そう考えることで、多少のことは乗り切れるような気がした。
Rain
悲しむ時、なにか当たるものがあることは幸いかもしれない。何も無い時、なにか諦めのようなものに苛まれる。当たるものというのは、物ではない。本当の悲しみを得た時、その悲しみの根源が存在すらしなくなっていた時、その悲しみを引きずってしまう気がしてならない。
こんな時、悲しみを癒すのは一体何なのだろう。
音楽か、恋人か、趣味か、絵画か、景色か…
答えは時間なのかもしれない。
我々は、時間というクッションで全く尖った悲しい経験を、包み込んで消してゆくのかもしれない…